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私たちのルーツ

旧家に息づく地域振興への想い

ニシキ醤油の創業家である大方家は、室町時代より、奈良・斑鳩の周辺に大きな勢力を持っていたといわれる旧家です。

戦国期には、大方家は筒井順昭・順慶に仕え、大和の統治に尽力しました。法隆寺周辺を舞台にした「並松の戦い」で順慶が松永久秀の軍勢に破れた時は、殿(しんがり)を守って退却し、のち筒井氏に厚遇されたというエピソードがあります。
大方家には数多くの古い書物や調度品が所蔵されており、中には、かの後醍醐天皇や伊達政宗の書状も残されています。

その後、五百井村で帰農し江戸期まで庄屋を勤めていた大方家が、現在の醤油造りを始めたのは、明治33年(1900年)のこと。近隣の農作物を使った醤油を醸造することで、五百井一帯の農家の自立を助け、若者に職場を提供したい、という社会的な使命感があったようです。
以来一世紀以上にわたり、私たちは斑鳩の地で醤油造りに打ち込んでおります。

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斑鳩の地を愛すればこそ

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「ニシキ醤油株式会社」の名前は、次の和歌より頂きました。

『嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり』(能因法師)
(三室山の紅葉は嵐に吹かれて散ってしまったが、竜田の川面にそれらの葉が浮かび流れる様は、錦のように美しいなあ)

三室山は、奈良県生駒郡斑鳩町にある小さな山です。古来から神の鎮座する山とされ、在原業平や能因法師などの和歌に詠まれています。
創業家は、斑鳩町五百井の地に400年以上にわたり住み続けており、かの地への愛着は、一方ならないものがあります。美しい奈良・斑鳩の地を愛する心こそが私たちの原点。想いを社名に託し、ここでしか造れない醤油の味を守り続けることが使命と考えております。

温故知新の革新を続ける

一世紀余りの歴史を持つニシキ醤油ですが、古きもの、伝統ばかりに腰を据えていては未来はありません。私たちが変わらず持ち続けているのは、「温故知新」の精神です。

「温故」とは、ニシキ醤油が創業以来、今日まで受け継ぎ洗練を重ねてきた、「ニシキ酵母菌」による醤油造りの、さらなる追究です。原料を混ぜ、麹を造り、もろみを醗酵させ、醤油を絞る。この伝統的な製法はそのままに、設備の近代化により、酵母菌が活躍できるより良い環境づくりを行うなど、さらなる極みを目指してまいります。

同時に「知新」とは、従来の醤油造りをベースにした、新たな製品開発への挑戦です。
そのキーワードとなるのが「オーナー醸造」。
長年培ってきた醤油の醸造技術を駆使して、「醤油」という既成概念にとらわれない、造り手である私たちが「造ってみたい」と思える醤油製品を生み出すべく、日々取り組んでいます。それは、レストランのオーナーシェフが経営者でありながら自身の食のアイデアをメニューにするのと同じです。

醤油は、まだまだ表現力のある、可能性を秘めた商品だと考えています。試行錯誤を恐れず、「温故知新」の気概を持って、次の新しい百年を創るニシキ醤油を目指して参ります。

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